2016

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    2016年の始まり

    今年も始まりました。
    あけましておめでとうございます。

    昨年はDTMの方に無意識に注力して、記事的には音楽のことが多かったですね(*´∀`;)
    音楽自体は大学生の頃からパソコンで音楽を作ろう的な週間マガジンを買って読んでいたの
    ですが、まずは音楽制作ソフトの操作を覚えることに専念して
    理論部分のページは読んでましたがすぐ眠くなり、その頃からじわじわと諦めずに何とか繰り返し見て習得してきた感じです。

    とにかくまずは形の整った音楽を作ることを目標にして、
    好きな音楽をコピーするように打ち込んでみたりして来た頃から壁が取れました。

    DTMの週間マガジンを読んでたときは本当は音楽は老後の趣味として取っておこうとしてたのですが、
    YouTubeでベースのミックス動画を見ていたら低音のEQ処理の解説をしてるんだけど、
    年を重ねるせいか低音があまり聞こえないぞ?これはまずいと思い、
    もうちょっと深くやっておこうという感じの流れです。


    自主制作アニメの音楽も自分で作るのも視野に入れてあります。
    もう一つはある程度イメージを作って音楽家の方にニュアンスを伝えて作ってもらえたらいいなというのもあります。

    最近はセールで音源を色々集めたので、それを試す記事も書いてきたいなぁと。



    2015年まとめ

    2015年は何か動きが鈍いと感じました。
    というよりか数年前から何か発信したいことも言いたいこともことごとく抑えこみ、
    じっとしている感じがします。

    歴史上の戦争でも、こちらの情報が相手にバレないよう戦ってきたと思うのですが、
    その情報というのに自分は過度でした。
    先にネタをとられるというのは、先行者メリットを失うことなので損失でもあります。
    大きなものを作ってる人は、制作途中を見せたくてもリスクとかインパクトが薄れたりとで色々大変だと思いますが、
    そこら辺の兼ね合いをうまくしていかないと活動自体の動きが鈍る、ということになるので
    どの辺りまでは共有していいのかなどの線引を考えていきたいですね。
    それが本来持っていた自信をどんどんなくしていくことにもつながります。

    これが今年からの自分の課題であります。


    また感情的な話としては以下の記事にあるように、

    http://think-time.club/post-2951/


    1つは、「言い訳」しないこと
    2つめは、「バランス」をとろうとしないこと
    3つめは、「自意識」と「プライド」を捨てること



    これは本当だなぁと感じます。
    上記は堀江貴文氏のもので好き嫌い色んなフィルターあると思いますが、どんな生き方でもその人の人生だと思います。
    人は欲がある生き物なので、それぞれが主張しあって言う所は言う、抑えるべきところは抑えるというのが
    人間社会で長く生きていくことかなぁと。
    考えを押し付けることも自由だし、押し付けられるのを怒って跳ね除けるのも自由だと思います。
    黙ってしまうのが死へ追い込むものとなりえると思います、今も昔も。


    まったくの他人の偉業なこととかを見て素直に関心する時もあれば、
    実際交流してる近くの人になればなるほど妬んでしまったり僻んだりするの人の機能ですね。
    適切な距離を取りながら仲良くしてくれる人たちなら素直に嬉しかったり。
    自分もそういう気持ちよくあります。というより、人一倍強いかな。

    公に向けて発信して、昔からの友達や知り合い、ずっと見てくれている誰かがいる以上、
    そういった攻撃的なものを自分で見せてはまったく関係のない人も気分を害し、
    書いてる自分も負のスパイラルだと思うのでずっと抑えていました。
    ちょっとの違いの話し方や書き方で捉え方が変わったりするのは良くありますよね。



    生まれながらの遺伝子や今まで生きてきた環境とか手持ちの財産とか、そういうので人の心や感情は千差万別なので
    この社会で嫌な思いをしないで生きていきたいと思う場合は、
    そういった自分をもやもやさせている原因の気持の切り離しをして強く生きていかなければと思います。


    「面倒だから、しよう」(渡辺和子著)という本をかいつまんで読んだのですが、

    『許さない間は相手の支配下にある。自由になるために「思いを断ち切ること」が大切』

    とあって、確かにと思いました。


    誰しも生きてれいば常に嫌だったことを考えてイライラしてしまう状態があると思います。
    しかしそれは自分から切り離すことをしないと、
    その後の人生頭の中でずっと「自分を悩ませるもの」として住み着き、体を蝕んでいきます。
    それは多分自分本人が一番望んでいないことでしょう。


    またそれも反面的に見れば、それだけ執着するというのは相手と自分は複雑に心が通ったとも言え、
    そう簡単に切り離せないものであるとも言えます。

    最近「無痛」ってドラマが面白かったのですが、
    無痛薬を開発してる医者と、
    「痛みも生きている証だから受け入れることも人生である」といった感じで主張する主人公がいて話が進んでいくのですが、
    人の痛みの一つである「イライラの状態」が続くのもありだと思います。
    グチグチ吐いていくことは相手にも気持ちを伝えていることであり、
    相手もその気持ちに対して様々な形で答えてくることでもあるから。


    人生をやり直す題材の小説や映画、ドラマやアニメも、泣いて、笑って、不幸と楽しみの山と谷があって面白く感じるのであって、
    まったくの心が上下しない人生はだんだんと毎日を無気力にしていきます。
    ここらへんは自分の人生でも痛みを受け入れないとな、と感じています。
    よく言われている、嫌なら見ない、それもありです。それも続けすぎると、内向的になりやすいです。


    そして誰かに自分の気持ちを代弁してもらうことを待つことやめ、自分で言っていくこともしていきたい。



    気持ちを発信する上でも意識したいことは、強い人へ向けても、弱い人へ向けても、適度な距離を取りながら、
    「人の根っこの気持ちが見えていることが大事」と思いました。





    実家の田舎の風景です


    変わらないと思っていたものを変える、それが2016年の抱負です。







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